★香港小話★

 

12. オレがいた頃のShenzhen 1.
2006. 8. 3.

 

かっちから『モリもちゃんと香港小話を更新しろよ〜。』と背中を押されて久方振りの更新。これからは『かっち軍団』と合わせての更新を目指しますよ〜。幸い『かっち軍団』に比べたいして注目を浴びていないのが救い。『かっち軍団』のカゲに隠れて、ゆる〜い感じで行きますよ、ホホホ。

 

『香港小話』といえど香港に限定してしまうとネタも尽きるのが早いので、これからは香港だけに関わらず、オレが経験した海外あちこちのお話しを書いていきます。というわけで今回はお隣のお国、『しんせん』。

 

『しんせん』は『深い』の『深』に土偏に川の字を書く。広東語は『さむちゃん』、北京語は『しぇんちぇん』、だもんで英語表記は 『Shenzhen』 と書きます。日本人の間ではすっかり『しんせん』という読み方が定着しているのだが、先程調べたら土偏に川は『しん』と読む事がわかった。そしたら『しんせん』ではなく、本当は『しんしん』ではないか!!!(笑)

 

日本人の中国の地名は本当適当である。『北京』の『ぺきん』は広東語の『ぱっきん』から来ている、北京語では『べいちん』なのにだ。一方『上海』の『しゃんはい』は北京語、広東語は『しょんほい』。『香港』の『ほんこん』は広東語の『ひょんこん』から、北京語は『しゃんがん』。『南京』も『北京』に合わせて広東語読みで『なんきん』、北京語では『なんちん』。それ以外は基本的に日本語読み。

 

まっそんな感じで日本人社会の間では『しんせん』と呼ばれている街について、オレの体験談を含めながら書いていきます。

 

『しんせん』は90年代初頭に経済特区に指定されてからは目覚しい発展を遂げてきた。香港もイギリスの植民地になってから著しい発展を遂げたのだが、しんせんも香港に追いつき追い越せ!との勢いで急速に発展。香港や外国の資本も大量に注入され、中国各地、特に貧しい地方からしんせんに出稼ぎに来る人が増えた増えた。まさに広州も含めた『広東ドリーム』を夢見ての出稼ぎである。

 

もちろんそうなるとマジメにがんばろうという人だけでなく悪い人もたくさん集まってくる。オレが香港に滞在していた93年から98年の広東省は一気に治安が悪くなったのだ。

 

香港はイギリス領時代に中国からも少しずつ移民を受け入れてきた。でも香港に住むには厳しい審査が待ち受けており、許可が出るまで何年も待ち続けるなんてザラだ。当時は旅行ですら、香港に入る事は難しかった。日本人や香港人は簡単に香港ー中国間を行ったり来たり出来るのに、大陸人(中国大陸に住む人は香港人からこう呼ばれている)はしんせんで香港人や外国人が来るを待ち受ける事しか出来ない。

 

オレの香港の友達も大陸人と結婚したのだが、香港へ奥さんをすぐに呼ぶ事が出来ないため自分がしんせんに住み、平日は香港で仕事、週末に家族の元へ帰るという二重生活を送っていた。奥さんが香港への滞在を許されたのは、確か結婚後約5年を経てだったと思う。

 

もちろん出入りを厳しくして来たからこそ、香港は世界有数の観光地としての治安を維持できた。中国に返還された現在でも、大陸人は誰でも彼でも香港に入る事は出来ない。

 

ただ昔に比べて旅行で香港へは行きやすくなった。香港ではかなり大陸旅行者が増えたとの事。香港の友達は『最近は日本語を勉強する人より、北京語を勉強する人が増えた。』と言っていた。バブル崩壊やサーズによって日本からの観光客が激減したのもあって、大陸からの観光客を来易くしたのだろう。

 

日本を含めた外国企業や香港企業も、しんせんを含めた広東省にたくさんの工場を作った。賃金が香港より格段に安く、ワーカーも次から次へと田舎からやって来るので人材には困らない。今では日本でも中国産の物があふれるように存在し、また中国全土でもたくさんの工場が出来た為、資本主義の考えは当たり前のようになっているが、華僑を含めた香港指導の下、広東省が世界の工場としての中国の経済発展の先駆者となったのは言うまでもない。

 

とりあえず香港としんせん(広東省)の関係を軽く書いてみたのだが、長くなったので続きはまた今度。

 

【目次】